コーヒーサロンのある町

コーヒーサロンのある町は素敵だね。

ちょっと大きめで、いろんな人が行き交って、そこには知った顔と、世間話がある。

朝食をとる人から始まって、

夜このまま帰るのは寂しい人で終わる店。

内装はシンプルで落ち着いた色だけれども暗くはない。

窓から差し込む光が時間の移り変わりを教えてくれる。

大体のものが使ったように古びていくもの。

時間をそのままトレースしてそこだけのものになっていくもの。

音楽は流れているけれども、会話の邪魔にならない。

音楽が流れているのは、野暮な会話を聴かなくてすむように。

音楽が流れているのは、贅沢な一人の時間を噛みしめるために。

音楽の音量は意識したら素敵な会話なら聞こえるくらいの音量で。

素敵な人たちの会話にするりと入り込めるリラックスを作り出すために。

仕事ができて、読書が出来て、人との会話が少し楽しくなるそんな場所。

小腹が空いたら食べることが嬉しいことを想い出させてくれる軽食を。

おいしいものを食べることの幸せを想い出せる味がする。

心がこわばってたらほどよくときほぐすアルコールを。

飲み過ぎないでいい気分で帰れる量の雰囲気が出来ている。

それでもやっぱり中心はコーヒー。

いつもいつも同じ味。違うのは毎日の体調だけ。

好みに合わせてミルクも砂糖もその日のフィーリングでご自由に、それくらいのゆるさで。

本棚には時を問わない名作が。

誰かの心の一冊がどこかに必ず眠ってる。

ショーケースにはなくても困らないけれどもあったら素敵なもの。

ありそうでないものがあたりまえのように並んでいる。

音楽も見過ごされがちだけれどもさりげなくすばらしいものを。

頭の中でリピートされない加減の名盤が必ず流れている。

ギターとピアノがあって自由に弾ける。

うるさくなければ楽しそうに弾いていればオーケー。

スモーキングルームは、駄目な大人の集まるクラブ。

苦笑いで入っていってどうしようもないひとたちが苦笑いで迎える連帯感、

やめられない煙草のはなしをさかなにやめられないストレスの原因を察しながら、

でも語らずに、みんないろいろあるよねと思いながら、別のはなしをする。

それがやさしくてちょっとだけ煙草の量のへる場所。

いつかは閉鎖したくてもある人が去って、

またある人が入る場所。

いつかはなくなるといいね。


その町にすむ人なら誰でも気軽に入れて、

職業も、年齢も、性別も超えて、人と人との輪と和のある場所。

資格は人間であること。それが犬でも猫でも人間的であれば入店の資格がある。

資格がないのは人間的でないもの。そう言うものだけが入れない。


優先されるのは人。

コーヒーでも、インテリアでも、音楽でもなく人。

そういうコーヒーサロンのある町があればいいね。

そういうコーヒーサロンのある町があればいいね。

はるばる春くる

あたたかいだけで、なんでこんなにうれしいんだろうね?

花の匂いがするだけで、なんでこんなにうれしいんだろうね?






さて、春ですが、いつも春になると思い出すのが、

テレビで見た雪解けのころ花の咲くところで、

白熊がうっとりしながらごろごろしている、

映像です。


多分人間も春はそんな気分になるんだとおもう。